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筋トレ、JavaScript、Ruby で世界を変えてやります。

今まで生きてきた27年間を振り返ってみる

自分とは何なのか

備忘録的に思い出してみようと思います。

幼稚園

小さな時から記憶がある限りでは、ビデオデッキや無線機なんかが自分の周りにあった。全部無線が出会いであった両親のおかげ。この時にはアンパンマンや戦隊物などが好きだった。ファミコンもたくさんプレイした。うちの母親が買ってたからなぁ。マリオ、ドラクエあたりをプレイした記憶はある。あとはレッキングクルーとかドラゴンボールとかファミコンジャンプとかが好きだった。

小学校

小学校低学年の時にはファミコン。そしてスーファミ。高学年の時にはプレイステーションゲームボーイ。外で遊ぶよりもゲームしてたほうが好きだった。小学生低学年の頃はワープロとか家にあったし、PC 98 の CanBe ってやつでお絵かきしたりして遊んだ記憶もある。ホームページビルダー2.0とかでホームページを作ってみたことあるし。ケルトの聖戦って光栄のゲームやったのも覚えてる。何をやっても楽しくて、ワクワクしかしなかった。その低学年の時はページをネットに公開するってことはなかったんだけど、小学3〜4年になって新しいPC(Windows95 くらい?)が出てからは、サンリオのゲームやったりしてたと思う。

本格的に触りだしたのは高学年になってWindows98が出てから。この辺りにダイアルアップ接続でインターネットをやり始めて、ISDNとかだった。ADSL開始されてうおおとかってなってたのにうちに来たのは結局4年も5年も経ってからだった気がする。高学年になった時にはホームページを作ってた。個人のホームページで、特に内容なんてないもんだと思う。その時からHTMLは知ってた。個人のホームページを公開して、 http://www1.neweb.ne.jp/wb/mattann/ ってアドレスで公開してた。(アドレス今思い出した) 当時はポケモンが流行ってたので、その攻略サイトを印刷してみんなに配ってた。ゲーム屋さん的な存在だった。

中学校

中学1年の時にはFF8が発売されてて、いろんな攻略サイト点々としてた。そんな中、FF共同チャットなるものが存在してて( http://ffchat.yi.org/ )、セルフィチャットってところに入り浸る。当時の名前は「ディアボロス様」だった。黒歴史。ちなみにモグチャットを運営してた。その時にいたみっち〜さんのホームページがすごくて、パクりまくったらアクセス禁止されたのを覚えてる。ごめんなさい。毎日GIF素材屋さん見る日々だった。遊戯王も流行ってて、遊戯王のカードを郵便為替で買ったり、買うためのトレード掲示板とか運営してた。レンタル掲示板って技術、すごいなって思ってた。

中学2年の時にはFF9が発売されて、FF9緊急対策本部とかできてた。その辺りから攻略サイト作ってみたいと思って作ってた。実際に作ったサイトはもう消えてるけど、バナーと管理人名は残ってた。( http://www6.ocn.ne.jp/~hahaha/oni.htm ) この鬼武者完全攻略本部は自分がホンキで考え、本気で使いやすさとコミュニケーションを追求したサイトだった。その結果、Yahoo!Japanのサーファーおすすめに掲載されて7万アクセス〜10万アクセス/dayをたたき出し、毎日カウンターがぶっ壊れててそれを楽しんだ。月間200万PVを超えるサイトを作れたのはこの時以来ありません。笑 

中学3年の時にはFF10FF11あたりの情報があって、攻略サイトが乱立してた。ので、FF11のコミュニティサイトをつくろうと思ってた。受験もあったのでFF10の攻略情報は作れないし。その時に FF11 X-covery ってギルドに入りつつ、さくっと受験を決め、進学。なお、受験とともに鬼武者のサイトは消え去る。FF11のサイトは作ってていろんなサイトとリンクしてたけど、またもや俺のソースコードパクリがバレて2chで炎上して閉鎖。この時にパクリはいけない、ということを学ぶ。学習しろ、俺。笑

高校

FF11をやりつつ、無料だったRagnarok Onlineにハマる。FF11は個人的に面白くなくて、ROはシンプルでドット絵が最高でBGMもよくて死ぬほどやった。サイト作りは特に大きい物はやってなくて、自分の日記を書いたりしてた。この時に出会ったたまり場の人がいて、丁度東京に遊びに行った時に新橋のお店でその人と会った。「お前は東大に進学しろ」そう言われてから俺の人生は変わった気がする。んで、今でも半年に1回くらいは会って飲み会をするほどには縁が続いてる。ちなみに、どんだけROにハマったかというと、「部活、勉強のために休部します」って言って定期考査前にRO漬けするレベルだった。風邪引いてないけどROしたいので学校も休んだことも。

高3の転換期

そんなひどい高3の夏までを生き、そこから数学・物理のために塾に通う。恩師ともいうべき先生で、全く何もできなかった僕に勉強のきっかけを与えてくれた。すべて赤点で生きてきた俺はこの後、物理の構内偏差値109という数値を叩き出すほどに成長する。勉強が好きになった瞬間だった。しかしながら、「東大に行け」と言われても行けるはずがなく、他の教科が出来なさすぎて受験は全滅。1度目の浪人をすることとなる。することとなったけど、東京に出て良い授業受けたかったので河合塾池袋校に通う。監獄のような寮生活を送る。

浪人

2005年。監獄ではPCなんて触る機会がなくて、携帯でメールするくらいだった。運動もしないし、ご飯がおかわり自由だったので死ぬほど食った。10kgくらい太ったはず。この時には近くのゲーセンでカプコンvsSNK2とかスト3にハマってた。予備校が終わった瞬間に寮のある駅まで帰り、ゲーセン1時間ほどし、その後夕飯。超充実。で、週末はマックで一日勉強しながら、夕方にゲーセン。ほんとゲームが好きだったなぁと感じる。今更だけど、あの時の僕には勉強をしてもらいたかった。(切実)

大学生

無事早慶に落ち、明治理工にコンプレックスを感じながら通い始める。なんで俺は早稲田じゃないんだ。そう心で唱えつつ通う。辛かった。でも幸いなことに、テニサーに入り、週2〜3でオールする日々が始まった。全くお酒が飲めなかった俺はこの時にお酒の飲み方と人との話し方を学んだ。今ではこういうお酒の飲み方をしちゃいけないという反面教師になってる。

で、サークルの同期もよくよく話を聞けば、「俺もFF11のサイトを中学の時に作ってた」とか言う。話してみると、相互リンクしてたらしいし、俺のサイトを閉鎖まで追いやるほど2chで叩いてたそうなww それから、ゲームが好きすぎてアパートの近くのゲーセンでバイトを始める。天職だった。バイト前に鉄拳5DRをし、バイトをする。バイトが暇になると鉄拳を見る。ちなみに住まいはゲームショップの2Fだったw …またクズに戻ってた。

クズながらもその同期とブログをやって競ってた。サークルで起こった面白い事を記事にする。ブログは一日1万5千ヒットくらいがピークだったけど、ブログランキング1位になったりもした。そういう生活も面白いなと思ってた。

意識高い大学生時代

そんなこんなでクズな生活も3年すると飽きが来る。「俺は今何をしなきゃいけないのか?」就活するにしても大学院進学するにしても自己分析をしておこうと思って、絶対内定2010を買って自己分析を始める。俺は自分に求めるレベルが高いのに、それに追いついてない。高校の時に会ったたまり場のあの人に言われた「お前は東大に進学しろ」が蘇る。その時に「俺は東大に行く」そう決めた。東大ですごい研究がしたかったんじゃなくて、自分はそれくらいできるってことを証明したかった。

mixiインターン

mixiインターンをした大学三年生。mixi全盛あたり?応募したら通った。インターンでは5日くらいすごいきれいなオフィスで企画立案してた。mixi to you っていう色紙にメッセージを書いて誕生日をお祝いするサービスを企画。今となっては mixi バースデーってサービス名で提供されてると思うけど、原案は俺らのチームだと信じたい。2012年にmixiがサービスを開始してるので、4年もの間温存されてきたネタだ。笑 その前にも年賀状を送れるサービスはあったけど、若干イメージが違かった。mixiバースデーは開始1週間で50万件もお祝いされるものだったので、僕らの考えた5日間は無駄じゃなかったと思う。

暗黒の大学院浪人受験期

2008年11月23日から813日。2011年2月26日までずっと勉強し続ける毎日。今までの糞さをすべてなくすかのように勉強し続けた。2009年には明治大学大学院には合格してた。東大には落ちた。でも明治には行かなかった。「このままじゃ後悔する」絶対にそう思ったから。2010年の夏には東工大大学院に合格。この時も東大に落ちた。本当にバカすぎて死にたかった。で、まだ終わったわけじゃないと受けた最後の2011年2月の冬入試で東大に合格。本当にこの時勉強し続けてよかったと思った。210人居たマイミクの1/4くらいがメッセージをくれた。嬉しかった。

開発会社でのバイト

それと、2010年の夏頃から開発会社でバイトを始める。簡単なPHPから。lsもcdもコマンドがわからないレベルから、半年でそこそこPHPとはどんなものなのかがわかるようになる。そこそこ。クルージングのサイト作ったり、ツイッターのクライアント作ったり、女性向け下着サイトの改修したり。すべてが新しく楽しく感じた。ただ、やっていく上で、「こう変えたらいいのに……でも俺の意見は仕様に反映できない」それが悔しく思う半年〜1年だった。その間ずっとレアジョブをやり続けていたが、大学院に入ってから、レアジョブの懇親会が渋谷で開かれた。その時をきっかけにレアジョブにアルバイトとして採用された。

レアジョブでのバイト

レアジョブでは改修をやりつつも、仕様を固めたり、データベースやら実際の運用やらを学んだ。志がすごい人達が集まってて、面白い会社だなと思いつつ、レアジョブ漬けの生活を送る。冬にはフィリピンへ行かせてもらって、多数の優秀な先生たちや現地スタッフと会った。グローバルな会社っていいなと思ったきっかけでもある。現地の人にとっては高い給料水準で僕らにとっても低価格で英語が習得できる。Win-Winの関係。今後就職するならこういうグローバルな会社だと思った。

インターン〜就活

今の会社でインターンさせてもらった。チームの個人賞を頂き、会社の方針と自分の目指してる方向も一緒だったのでそのまま入社。グローバルで、コミュニケーションしてて、優秀なエンジニアがたくさんいて、学ぶことがたくさんありそうな会社だったから。どうして今の会社を選んだかの詳細は別途書こうと思う。